2021年度 第14回 ベスト・ファーザー賞 in 関西
政治部門
1.パーソナルプロフィール |
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【 氏 名 】泉 房穂さん (いすみ ふさほ) 【 年 齢 】57歳 【出身地】兵庫県明石市出身 【 職 業 】明石市長 【家族構成】一女一男 |
2.ご自身の経歴 |
東京大学(教育学部)卒業。NHKディレクターなどを経て、弁護士・社会福祉士。衆議院議員(1期)。明石市長(現職3期目)。
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3.今回ご受賞された感想をお聞かせください |
【ご自身】 まずは、素直に、とても嬉しい気持ちです。 そして、「父の日」については、日本においては、明石市が発祥の地ともいわれており(明石市の連合婦人会初代会長が、幼稚園児から「母の日はあるのに、どうして父の日はないの?」と聞かれたことをきっかけに、1953年に、明石の婦人会が中心となって「父の日」の制定決議がなされ、その後、全国に広がっていったとされている)、その発祥の地である明石市としては、かねてから、「父の日」の普及啓発活動などに積極的に取り組んできていたことから、このたびの受賞はご縁を深く感じるとともに、感慨深く、とても名誉に感じています。 【ご家族】(夕食時の会話) 私「実は、ビッグニュースがあるんだけど・・・」 妻「えっ。また何かやらかしたの?」 私「そうじゃなくて、ベストファーザー賞に決まったって」 娘「それって、どっきりカメラじゃないの?」 息子「暴言大賞の間違いじゃない」 妻「じゃあ、ちょうどいいわ。ベストファーザーなんだから、あとの片づけと風呂掃除もお願いね。」 娘「じゃあ、洗濯も」 息子「おやつの買い置きもね」 私「・・・」 3人「イヨッ、頑張れ、ベストファーザー」 |
4.父親として意識してきた点 |
【お子さまへ】 「子どもとの時間」、「子どものためだけの時間」をもつように心がけてきた。 つきあいも多く、帰りが遅くなりがちな仕事柄、夜にゆっくりと時間をとることができにくいので、毎朝、仕事に出かける前の1時間を、「子どもとの時間」と決めていた。上の娘が3歳のころから、下の息子が中学に入るまでの14年間は、毎朝5時30分から6時30分までの1時間を「子どものためだけの時間」として過ごしてきた。子どもが小さなころは、積み木やパズルをしたり、おしゃべりをしたりしながら過ごし、子どもが小学生になってからは、学校の宿題を一緒にやったりしながら過ごした。 また、まとまった休みがとりにくく、家族旅行といっても、どうしても仕事の延長線になりがちであるうえに、子どもの行きたい場所とも限らないので、いわゆる家族旅行とは別に、「その子のためだけの日帰り小旅行」を、年に数回企画し、思い出のひとコマひとコマを重ねてきた。奈良や京都や鳥取砂丘などには何度も足を運んだし、安芸の宮島や伊勢神宮なども子どもには好評だった。 【奥様へ】 「国会議員や市長の代わりはいくらでもいるけど、この子らの父親はあなただけなんだから」 「政治家という仕事は好きじゃないけど、せめて「我が子に恥ずかしくない政治家」であってほしい」 妻から言われたことのある言葉である。 それらの言葉の意味するところを強く意識してきたつもりではある。 |
5.理想とする父親像はどんなスタイルでしょうか? |
自分自身の父親が、自分にとっての理想の父親。 我が父は、戦後直後の貧乏(父の兄3人が戦死)もあり、家族を助けるために、小学校卒業と同時に漁に出て、それから70年、漁師として生きてきた。結婚してからも生活は苦しく、二人目の子(我が弟)に障害があったこともあり、大変な苦労の中、家族のために必死に働き、家族のために一身を捧げて生きてきた。 私が子どものころ、そんな献身的な父に対して、「ありがとう」って口に出すたび、父は私に対して、いつもこう言っていた。「ありがとうなんて、親に言う必要はない。親として、あたりまえのことをしているだけだ。おまえも子どもができたら、おまえ自身がその子のために、精一杯のことをしてあげなさい。それが親孝行だ。」 また、子どものころからトラブルの多かった私のせいで、父親同伴でのお詫び行脚をさせたことも何度かあったが、父から叱責されたことは一度もない。「お父さんは、おまえを信じている。反省するなら、したらいいし、反省する気がないなら、それも仕方ない。どちらにしても責任はとるから大丈夫だ。」 父親の言葉は、子どもである私にとって、とても重いものだった。 |
6.今後どういった父親で在りたいと思いますか? |
子どもがどうであっても、子どもを愛し、子どもがどうでなくても、子どもを信じる。 そんな父親でありたい。 |
7.プロフィールについて |
1963年、兵庫県明石市の代々漁師の家に生まれる。明石市立二見小学校、二見中学校、明石西高等学校、東京大学(教育学部)卒業。高校時代は生徒会長を、東大在学中は駒場寮の寮委員長を務めていた。東大卒業後、NHK(ディレクター)入局。退職後、テレビ朝日「朝まで生テレビ」番組スタッフ、政治家(石井紘基)の秘書を経て、1997年に弁護士登録、2000年に独立開業(明石法律事務所)。2003年に衆議院議員(1期)。2007年、社会福祉士の資格取得。2011年から明石市長(現在3期目)。子育て5つの無料化(医療費・保育料・給食費・施設利用料、オムツ代)や全国初のセーフティネット施策(養育費立替、無戸籍者支援、生理用品配布、認知症手帳発行など)を実現。著書「子どものまちのつくり方:明石市の挑戦」「子どもが増えた!明石市人口増・税収増の自治体経営」。柔道3段、手話検定2級、明石タコ検定の初代達人。
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